オープン the 私☆⓶
続きです。
翌日、朝母に送ってもらった時、
別れて電車に乗るまでに、
ふとよぎった考えがあります。
母は、自分の義務のように、送る!!を決めているのは、おじいちゃんがしてくれていた事を、自分も、としてくれているんじゃないか…と。
私が高校生・短大生・社会人と、
通学や通勤距離が長くなるにつれ、
送迎をしてくれるようになりました。
母は、昔剣道をしていて、
祖父は剣道の先生でした。
昔の思い出話を語る時、
中・高校生の頃、朝練が早く、
祖父は自転車で母を後ろに乗せて、
毎朝送ってくれていたそうです。
祖父(剣道七段!)の有段者でもあり、
母への期待に熱が入り、
何より応援したい気持ちでいっぱいだったんだろうと思います。
結局母は膝を壊して、剣道から離れましたが、思い出は祖父が亡くなっても
ずっと生きていて。
なんて頑ななんだろう、
帰り道、そんな危なくもないのに、
困ってないのに、
歩くのってそんな問題??
歩くの阻止して太ってきたね〜笑は、
ないんじゃない???
と、かつては文句でいっぱいでしたが、
送迎時間が楽しみな今、ふと
湧いてきた もしかして…は、
私の妄想だとしても、今までありえないものだし、そんな気持ちが自然と湧いて涙がこぼれそうなこの事実が、
何より嬉しいのです。
ずっと、母が許せず、父も許せず、
怒りが消える事は一生ない!と固く信じていたのに、家は居心地良いし、勝手に、良い解釈まで浮かんで来ちゃった!
自分で生きるを決心する事は、
現実を随分柔らかくしてくれるなって思いました。